父は10数年前に他界した。
とにかく子煩悩で働き者。
私たち兄妹が高校生になる頃まで
休みは数ヶ月に一度という生活を送っていた。
お陰で私たち家族は何不自由のない生活を送り
好きなものを好きなだけ買い
やりたいことは何でも出来た。
父のお陰である。
自分も親になった今
どれだけ頑張って育ててくれていたかを考えると…
月並みの言葉だが
感謝しかない。
さみしがり屋の性格なのに
何年も単身赴任をし
朝昼晩と1日に3度も家に電話をしてくるマメさ。
建設現場で仕事をしていたので
編み上げの安全靴を毎日履いていた父。
その安全靴に革靴クリームを塗り
ピカピカになるまで磨く程のキレイ好き。
単身赴任から一時帰宅した時には
ズボラな母に代わって
子供達の学校の制服や会社の制服、Tシャツに至るまで
ビシッとアイロンをかけてくれる。
そして、私や兄妹が学校や仕事から帰ってきて
駐車場に車を止めようとしていると気付くなり
夕食を温め始める。
家に入ると
テーブルには湯気の立った夕食がすでに並んでいて
ペコペコだったお腹はすぐに満たされた。
と、ここまで聞くと
文句の付けようのない最高の父親なんだが。
父は大酒飲みだったのである。
それもかなりの。
酔うと人が変わったようになり
虚ろな目を吊り上げて
聞くに堪えない暴言を吐く。
しかも近所にも筒抜けの大きな声で。
そして、それが明け方まで続くのである。
もちろん私たちは一睡もできずに
翌日、学校や仕事に向かうのである。
酔うと、家族のみならず
親戚や職場の方々にも迷惑を掛けまくる。
だから法事や結婚式など
親戚が集まる場所では皆
父に対して
『触らぬ神に祟りなし』
といった様子で
軽く世間話をしたら
早々と父から離れていく。
それに気付くさみしがり屋の父は
お酒を浴びるように飲み
親戚の席へ行っては暴言を吐く。(素では行けないのが切ない)
チョー迷惑。
そのチョー迷惑な人の子供だから
私たち兄妹に対する親戚の視線も
そりゃ冷たいものとなる。
でも酔いが冷めると
またいつもの
子煩悩で、マメで、きれい好きの父に戻るのである。
幼い頃から
この落差に困惑していたのを覚えている。
ある日、そんなマメできれい好きな父の安全靴が
汚れたまま玄関にあった。
「…珍しい…」
と思ったけど
高校生だった私は気にも留めずに
普段と変わらない生活を送っていた。
続く。
コメント